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アートと生活、そして考えること。

2010.02.17 Wed
これはあくまでも私の分類の話。

アートと生活がもう少し密着、統合するという観点では、
アートという概念がもっと身近に触れられるようになる必要と、
アーツ・アンド・クラフツのように普段使用するような道具などへ
芸術性を高めようというものがあるように感じる。

前者のアートという概念が身近になること。
アートという言葉を使ってはいるが、ここではモノづくりや創作活動も含めている。
私の意見としては、ただ好きなものにシャッターを押す写真を撮る行為、
ただ感じたままに絵を描く行為、模写であれ描く行為、それを展示や出力していくことは
とても有意義なものに考えている。
それが何よりの他者という新世界のコミュニケーションツールになったり、
自身の感覚を鍛えることになるのだろうから。

ただ創作活動の全てが私にとっての、「本来のアートや芸術の分野のもの」かと問われれば、
返答に困るかもしれない。
やはり、刺激がなく退屈と感じるものは少なからずあるもののように感じる。
それはいつであっても、私にとっては、作家が自分自身の表現を求めているというよりも、
大衆的な文化に合わせて作られた自我なき作品と対面した時のように感じる。
また作者に作品の話を聞いても、哲学も存在せず、かといって感情も存在しない。
そんな場合に感じる。ただセンスを合わせただけ、後付けされただけの制作。
もちろんこれは私の場合であり、またファインアートばかりが芸術でないのだから
少しオーバーなのかもしれない。ファインアートの歴史なんて美術史では短いものだ。

さて、なんだかんだ言ったものの、
私は人が何かを作るとき、だれしもが自身の歴史に影響を受けて、
また自身の歴史に存在しない作品はできないものと考えているので、
何気なく作ったものでも、撮ったものでも、その人自身が現れているのだろうし、
それが培ってきた感性や考え、見てきたものそのものなのだから、
否定すべきものより、受け止め、それらを深く観察べきだと考えている。

ただ、批評を求められた際に「これいいですね」とかそんな事ばかりで、
何も言えない人間は少々退屈ではないのだろうか。
酒を飲み交わしながら深い話をする気も失せてしまう。
また、作品について聞かれた作家も作品についてもう少し深く考えることが必要だと
感じる。それが何しろ自分自身を知ることに繋がるのだから。
「モノクロが好きです」「エロスが好きです」「景色が好きです」
そんなことを聞きたいわけではなく、その内側、内面の告白を聞きたい。
なぜ好きなのか?その起源や影響、感情。それが新に面白いと私は感じる。
またそれは作品の説明のようだが、自身の説明に取って代わるのだから。
たまに、「芸術を語るには早すぎる」そんな言葉を時代錯誤な耳にするが、
それは「聞く耳」や「他者への興味」を持っていない人間なので気にすることはない。
ぞんざいに自分の芸術や芸術論を語ること、仲間と討論することは大切なことだと思うし、
なにより自分で芸術活動をしているということは、
誰が何と言おうと作家自身が芸術の渦中にいる。

私の芸術とは主に「考える」ということに重点が置かれているのかもしれない。

少し話が逸れてしまったが、前述の通り「私の中での本来の芸術」とか
そういうタガをはずしてしまえば、モノづくりや作品づくりはハードルが高いものではないし、
興味があればどんどん挑戦して欲しいように感じる。
また、見る方もこれが好き、嫌いというような自分なりの感覚で理解して良いものだと思う。
そういうことがアートと生活の密着の始まりとなると思うし、
その人自身の感覚を鍛えることの始まりや自身を知るきっかけとなるかもしれない。

「atelier bemstar」がその初期ステップとなったり
その楽しみを共有できる場になることを私は望んでいるのもまた事実だ。


つづく。



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降りてゆく生き方

2010.02.12 Fri
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昨日降りてゆく生き方という映画のプレ上映会のトークゲストとして参加してきました。ゲストというより高坂さんの補佐ですが。
題して最初から降りていて、降りられない人間として。
http://www.nippon-p.org/concept.html

以下は昨日の話の内容が含まれていますが、ややどこぞの社会活動団体と思われるとアレなので、そういうのに敏感な方はオススメできません。というより長い割にどうでもいい内容です。

このトークは自分の人生をしっかりと生きるとか、うちでも主題の一つとしている本質的な豊かさを考えるものだと私は考えています。

実際のこの映画の話はグローバルな資本主義から降りてしまうという意味らしく、まあ「金!金!」の資本主義ではなく、生きていく上でお金よりも人との温もりをもった繋がりで助け合っていくことだと思います。(私は本編は観てないので・・・)
でもまあ、例えば、大きい会社がはたしてどれだけいいのでしょうか?コボちゃんもマンモス企業に就職したけれど、それだけに絶滅しなければいいなんて皮肉を言っているわけです。(これはこの前コボちゃんを読みましたというだけの完全に余談です。笑)
スタバが街の小さな喫茶店をつぶすために、周りに何件もスタバを立て、つぶれてから撤退する。そんなものが本当にビジネスの戦争なのでしょうかね。ただ強く生きるのなら、スタバにはできないことをするのも喫茶店の戦術なのかもしれませんけれどね。
それに私たちもお金の使いかを考えると、スタバに500円払っても、払わなくてスタバにとってはどうでもいいだろうけれど、街の喫茶店への500円を払うことがその喫茶店にとってどれだけ大きいものなのか。その500円の違いは分かってもらえるはず。自分本位なお金の使い方以外も考えてみると割と面白いものだったりします。

とまあその500円の行方もそうですが、お金を払うことにしても感情や温もりの繋がりがあるというのが重要で、それがまた循環するという、まあある意味ノスタルジックな街づくりの話でもありますよね。でもこうやって生活してる場所はまだまだあるので、ノスタルジックというのも少し違うかもしれません。
しかし、そういう暮らしは良いじゃないかと私は正直思います。仕事なんて辞めてしまえばいいのかもしれない。実際、人生を生きるにあたって生活水準などというのは二の次の話ですし(生活水準が落ちるのやだーっというのはもう物質社会にどっぷりなのでそれはそれで変えようがないのかもしれませんが。)、もし妻や子を守らなくてはいけないというのであれば、それは詭弁も良いところだと思います。お互いで助け合うという手段があり、それこそがノスタルジーな家族のカタチですから。最近の家族のカタチはいい意味で使われることがないですし。
(ちなみにトークゲストの高坂さんのお店から40人ぐらいはもうそういう仕事を辞めた人が出ているらしいですが、いまだ苦情は来ないようです。)
私も毎日ワインと生ハム作って、陰鬱な絵を描きながら暮らすなんてピッタリな気がする。

私の話したことは、子供達に考える必要のない連鎖提供することは辞めてほしい、というところからはじまって、学校、受験、受験、就職、誰かに決められて自分の道をたいして考えもせずに歩くものなのでしょうか。というありきたりな話です。「ただもう少し考えて生きる、そういうことは面白いのではないか」という提案です。
だってその連鎖は国の姿勢や教育機関の態度、つまりは一貫して教育活動でしょ?教育とはなにか?教育とは洗脳だ。ということをとあるお偉いさんは豪語しているわけですよ。
そんなの思い通りにはならないという、ただの捻くれた私でもあります。だってそれって結局のところ日本の国民性の自我を持たないという人間を生産しているということでしょう。そんな人間は使いやすいかもしれないけれど、個性や面白味が薄まってしまうような気がしてならないです。

あとは仕事関連の話でした。仕事のカタチ。
私は仕事と生きること、趣味が全て密着型なのでまとめて「生きること」というジャンル分けになっています。別に分ける必要が現時点であまりないので。
だからといって会社勤めの人、自分で仕事をしている人、みな満足しているのなら別に良いのではないかと思ってはいます。それはその人の人生なので、その人の思想までは無理に変える必要はないのですから。
むしろ思想は違うからこそ、話が面白いとも感じるので。

ただ一つだけ言えるとすれば、「仕事」というのは自分の人生の多くの時間を費やすものです。言い換えれば命や人生を費やしている。やりたくない仕事、その仕事へと未来を託せないものをやり続けていくことは何の生産性もないことだと私は思います。
命をあげるからお金を下さいって悪魔の契約か何かなのだろうか?

とはいえ専門家でもなんでもない、ただの呑んだっくれの戯言ですけれどね。なにせ、この話してる時、私はすでに4本目くらいのエビスビールを右手に握りしめていましたから。

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迷いと帰国

2010.02.11 Thu
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完全に時差ぼけしていて今日も閉店後に出勤です。
ロンドン、美味しいものを探せツアー帰国しました。
ヨーロッパ中から集まる美味しいもの市は良いですね。
あの生ハムのクオリティーをこっちでも再現したいものです。
東京じゃ無理でしょうけれど。

冗談はさておき、ロンドンギャラリー巡りへ行ってきました。
カメラを忘れるという前途多難ぶりでしたがなんとか。。。
ちなみに写真はとても気に入ったギャラリー(教会の地下)への扉です。
まさにダンジョンですね。中も外見通りのダンジョンです。
ここで日・英を混ぜた展示会ができたら良いなと思います。
とはいえ、かなりの作品数が必要そうなので、
どうなるかわかりませんが。以上に広いスペースなので・・・。

本当に多くの作品や商業ギャラリーや貸しスペースに触れたことで
良い勉強になりました。

そして迷いが生まれたことも事実です。
生まれたというよりは、以前からあったものが明確になったというのが
事実かもしれません。

私にとってのアートは簡単に述べれば作品に「深さがあること・哲学があること」。
アートを学ぶという観点を同じく簡単に述べれば「許すこと・認めること・共有すること」。
その考えが今までは同居していましたが、少しずつ相反するものになりつつある
というとこかもしれません。
むしろ私のなかで作品を作る人間と、作品を飾るスペースを運営する人間として
両方の意見が相反しているのかもしれません。

ホビーがアートになるには、その人なりの作品への哲学や作品に深さが
必要だと考えています。
写真を撮る際に例えば、この構図がいいな、この色合いがいいなという風に
感じてそこでカメラを握ることもあると思います。
まあそこにそれを選ぶまでの自身の経験があるので、そこに深さがないというのは
少々言葉が違いますが、その深さが説明できないのでは、やはりホビーやセンスだけの
産物になってしまう、そんな風に感じます。

とはいえ、スペースをもつ側としてはホビーであれアートであれ
あまり小難しいことは言わずに、なにか作ったり、やってみることが
とても楽しいものですし、有意義なものなので挑戦して欲しいとも考えます。
そこから自分をより深く知ることになったりするかもしれませんし、
産まれるかもしれないのだから。その足がけとなれればと思います。

そしてアートを学ぶことは、自分の作品の線一つ一つを許して愛せるような感覚と、
他の人の作品を認めて共有すること。
つまりは許容の容量を広くすることが私にとっては近いものだと考えています。

どうしてもセンスが合わない作品もありますが、それを認めて追求すること
それがまたとても自分にとって必要なものだと思うからです。
嫌な絵があるとすれば、その絵はなぜ自分にとって嫌なのか、
作者はどういう世界観があってその絵を描いているのか、
そういうことを理解することは自分の身になり同時に世界を広げるからです。

しかし、スペースとしてはどこまでの作品を許容していいのか
そういうのを考えなければならないとなると少し悲しくなってきます。
当店は基本的にどなたでもご利用頂けるスペースで、審査などは特にしない方向で
運営してはいるのですけれどね。

まあ何はともあれ、今回のイギリスのギャラリー巡りは、
私の中の小さい展示スペースを持つ身であることと、
少なからず作品を作っている身であること、
それを双方に含めてとても勉強になったことは事実です。
ありがとうございます。


うちもそろそろ一つの分岐点かな。
毎日お酒を飲むだけの生活もそろそろ終わりにしないと本当はいけないかもしれませんね。

本当はということはいま右サイドにビールがあるわけで・・・。笑




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2010年の構想 カフェ編

2010.01.10 Sun
IMG_3612.jpg


アトリエなんだけれど、そのアトリエにはカフェがある。

2009年は[ie cafe]というカフェに名前をつけて、内容の強化に努めたが、
2010年の当店のカフェ[ie]はあくまでもサブの役割だ。
しかし、駅前のお洒落カフェやそこらへんのカフェより面白いカフェ。
カフェメニューからお酒までこだわっている。

そう思わせることが本当の私のカフェの姿としての野望だ。


あくまでカフェ事態はサブなのだが、手を抜くという意味ではなく、
むしろ手はかけるが、隠れ家のアトリエのさらに隠れ家カフェという
なんとも見つけにくいけど、見つけて少し嬉しいような位置に在りたい。

テーマは家庭的なカフェ・情緒的なカフェ
小奇麗な料理はないけれど、手作りで愛情のこもった料理を作るということを心がける。

儲からない飲食店体系「カフェ」とは言われていても、人は自身のカフェを作る傾向にあるし
お洒落な料理なんていまやどこにでもありふれているのは明白だ。
だから、そういった類のものは駅前の大型チェーンカフェで食べてもらえれば結構なことだろう。

あとお店の調理時間がゆったりだということに対しての言い訳としては、
料理が来る間、食べているあいだぜひ友人、恋人、カウンターで隣に座った彼や彼女と
談笑を楽しんで頂きたい。それを含め食事なのだ。
もちろん一人の方は本を読むという過ごし方もいいと思う。
その間にぐつぐつと野菜が煮える音が聞こえるはずだ。

お洒落な料理は駅近くのお店で
素早い食事を好むのであれば駅前のそば屋をお勧めする。
じゃあうちはなんなのだ?と問われれば
ただお洒落な料理を出すことに重点を置くのではなく、
料理に対して、食べる人にたいして考えられるということを大前提とする。
俗に言うところの見えない調味料を隠し味に使っているお店を目指す。

メニューは基本的に有機農法野菜を中心として、シンプルに味付けしたものだ。
ジャガイモを焼いたものにあつあつのチーズをたくさんのせる。
ナスとオリーブオイルをからめて塩を一つまみのサラダ。
玉ねぎやほかの野菜をオーブンでじっくり温めたもの。
塩漬けにした肉や、煮込んだ肉に自家製のベーコン。
自家製のパンをつかった料理なども予定している。
あとは食材の効率を考え、保存食を作っていきたい。
代表的なものとしてピクルス・塩漬け・酒漬け・味噌漬け・蜂蜜漬けなどだ。

カフェドリンクメニューにたいした差はないが、
お酒は大人が楽しめるお酒をチョイスしていきたい。
新しいお酒に出会える、情緒をくすぐらせるものを仕入れる。
シェリー、アイスワイン、貴腐ワイン、ウィスキー、この間記事にも出したグラッパ。
日本酒は寺田本家さんからお願いしているものがやはり美味しい。
ワインは引き続きオーガニックや国産のものを中心に扱っていく予定だ。
ガブガブ飲むのが良いものではなく、嗜好品の一つとして丁寧に扱いたい。

しかし、勉強名義で本来必要ないお酒までどんどん仕入れてしまうので
自分で言うのはなんだが、私は私のお店やスタッフにとってはたちの悪いモノのようだ。
勉強1に楽しみ9のどこからどうみても無駄遣いなのだから。笑

前述した通りで、今年のカフェはあくまでもアトリエの作家が作ったカフェで
飲食のプロが作ったカフェではない。
ただそこに、母が子に作る料理のように、作家がお客に作る料理として
愛情や家庭的という要素が良いエッセンスとして入り込めたらと思う。
必然的に友人と飲みかわしたいようなお酒を仕入れるのだから、
本当に良いものを選べるのだと思う。(またお酒かと突っ込みはこの際ご勘弁を)
そして、隠れているところにあるけれど、
見つけると少し嬉しくなるような場所として存在したい。

名目はアトリエ、そしてそこには小さなカフェieがある。





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幸せな家庭を作るには

2009.12.07 Mon
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「幸せな家庭を作るには」

そんなことをなんとなく考えて歩いていた冬の夜道。
いまだに独り身、クリスマスはロンリーなクリスマスを送ろうとしている
そんな私が考えるような題材ではないとは心のどこかで自負しているのだが、

とはいえ、家庭とはなにも妻という伴侶ができ、
娘や息子ができという連鎖だけではないと考えているので気にはしていないのだが。
今は本当の意味での家庭は支えあう者たち集団のように感じている。
拘束のない愛情から行われる作業のようなものなのだろう。

それはさておき、「幸せな家庭を作るにはカフェを持て」
そんな言葉が寒空の下で寒い私の脳裏に過った。

寒い夜に家へ帰り、温かい「ハチミツ入りホットミルク」を家族と飲む。
温かい「チョコラテ」を、「レモネード」を家族と飲む。
出来合いのレモネードではなく、少し手間をかけてレモンの絞り汁から作る。
その作業の時間がまた家族の時間となるのだ。
時間がない、面倒、疲れている、そんな余裕のない言葉はここでは御法度である。
もし技量がないと思うのならそれは単にそれを作ろうとする相手がいないか、怠けているかだろう。
一家に一台パソコンやインターネットが繋がっているし、図書館というものがある、
いくらでも学ぶ方法はあるのである。

忙しいこともある、そんな時には手が空いているものが
少し手の込んだドリンクをそっと置いておいておく、
もちろんこれは手の空いているものの義務ではない。



家に帰れば部屋に閉じこもりっぱなしの息子(過去の私)や
最近帰りが遅く携帯ばかりを気にする娘、会話のないあの人と同じ屋根の下
それはなんとも薄い家庭なのだろう。ただの思春期かもしれないが。笑
単に家族の時間を持ってこなかったことが結果かもしれない。

食事中が家族の時間になることもしばしあるが、
なぜか我々は食事を食べているとき無口になる傾向がある。
(うちのお店で食事が運ばれると、会話が薄くなるのはお腹が空いているせいなのか)

だから家族は少し手の込んだ飲み物を飲みながら談笑する空間として
「カフェ」を持つべきでないかと感じる。
それがきっと「幸せの家庭」へとつながるのではないか?と。

一家にカフェを一軒持つ時代へ。




へっくしょん!

寒空の下でこんなことを考えている私は一体なんなのだろう。
帰ってホットウィスキーでも飲もう。
あ、私の場合は「家庭にカフェ」ではなく、「家庭にバー」かもしれない。



『ハチミツ入りホットミルク』
温めた牛乳にコームハニー(はちみちでも可)を入れて飲む。

『チョコラテ』
ミルクを温めながらチョコを溶かす。
インスタントコーヒーを入れ出来上がり。
お好みで少し焼いたマシュマロをのせたり、ホイップをのせたり。
要するに美味しければ良いし、美味しくなくてもまたそれは家庭の思い出になりそうだ。

『レモネード』
レモン(1つ分)を絞りグラスに入れ、はちみつもしくは砂糖とよく混ぜる。
熱湯を入れて出来上がり。スライスレモンを浮かべたりしても良い。
レモン以外の柑橘系の果物でも楽しめます。




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